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選択

能動的な我儘は活力

昔々の話

小さい頃に良い子だった人たちは自分で選択することが苦手であるように思う。自分もその一人だ。親や先生といった大人の言うことを聞き、きちんと守る。それで褒められた。逆に、あれがしたいこれがしたい、あれが欲しいこれが欲しいと主張すると大体怒られた。また、勝手に判断して行動をしても怒られた。だから、幼い頃から相手に決めさせるようになった。「何して遊ぶ?」「何でも良いよ。〇〇のしたいことは何?」といった感じだ。次第に主張も減ったし何かをしたいとか思うことも少なくなった。友達やその親御さんたちには「大人っぽいね」なんて言われたり。選択しないことは良いことだった。

流されるままに

習い事も勧められるがままにやった。作文でよくある将来の夢なども周囲のマネをして適当に理由をつけて書いていた。そのうち無難な答えを出す事も覚えた。一般論で濁す事も覚えた。そのために周囲の話や意見、主張に耳を傾けていた。みんなはこういう事を望んでいるのか、じゃあ自分もそうすれば文句を言われることはないだろう、と。

進路

進路選択、それは自分にとって大きな問題だった。初めては高校進学。クラスには既に夢を持っていてその夢を叶えるために進路を決めている者も居た。自分には夢がなかった。そもそもしたいことがなかった。何をしたら良いのか分からず、どこに行ったら良いのか親に訊いた。すると、「自分の進路は自分で決めろ」と返ってきた。とりあえず普通科に進んだ。

大学進学、このくらいになると自分のやりたい事を見つけている人が多い。周囲は自分の夢を叶えるために必要な勉強ができる大学、やりたい研究ができる大学を目指し努力していた。自分には夢がなかった。そもそもしたいことがなかった。高校と違って普通科なんて逃げ道はなかった。パソコンで動画を見たりサイトを巡回したりすることが多かったからパソコンを扱うらしい情報系に進路を決めた。興味なんて微塵もなかった。

選択肢が多く正解もない選択を迫られ苦しかった。

情報系の道へ進んだからそれを勉強している。そうするしかないのだ。他にしたいことも思いつかないし、多少の気まぐれが起こっても今更進路変更するほどの気力もない。情報系の学生という身分が自分の行動を支配し、形作っている。それで良い。このまま、これが自分のやりたい事だと言えば丸く収まるのだ。

終わり

やりたい事やっていますか?

ではまた。